ありがとうございます。株式会社テクトーン 代表取締役 大迫隆彦です。
我社というより、私の創業以来の歴史を会社案内にさせていただきます。
我社の企業理念をご理解いただければ、幸いです。
我社は、三菱電機の工業用CRTモニターの時代にモニターのメンテナンス会社として修理品の請負業として創業しました。
一般にPCモニターが普及する前で19インチのブラウン管モニターが50万円する時代でPCモニターの導入前でした。
ほとんど、FA用途むけで、各FAメーカーが独自に開発したグラフィックボード向けの仕様に製造したものばかりでした。
モニター単体が高額でしたので、修理料金も技術料だけで、3万円ぐらいした時代でした。
創業時は、ほとんど、資金がないものですから、三菱電機のサービス部門に間借りして
そこを事務所がわりに使用させていただきました。
当初、3人の仲間ではじめたのですが、一人はプールしていた資金をある事情でつかってしまい(1990年ごろ)、もう一人は、事業の転換期に修理だけの道を選び社員一人をつれて独立しました。(1995年ごろ)独立してはじめてのピンチでしたが、いい勉強をさせてもらいました。
そしてこの時期にはじめて事務所を借りました。
20坪程の事務所で家賃が20万円ぐらいです。
電話、FAX(コピー兼用)、事務机、作業机(もらいもの)を置き、事務所らしくなってきたときには、わくわくして、さあこれからだと気合がはいりました。
それまでは間借り状態でしたので、できる仕事も限定されましたが、そのようなことも気にしなくてよいので、この時期は、一人でよく徹夜したのを覚えています。
それからCRTモニターが一般PC用として普及しはじめて価格が、劇的にさがりはじめ、それに伴い修理料金も下がり始めました。(この時期にタッチパネルシステテムズ社と契約をむすび一時期タッチパネルモニターの取付をしていました)
その頃には、家を購入していて二人目の子供がうまれたばかりでしたので、このままではお先真っ暗の状態に陥ってしまいましたが、どうせするなら修理だけでなく販売から修理までしたほうが、一挙両得ではないかという単純な発想で、当時、導入期であった液晶モニターを扱おうと決め(液晶モニターの出始めの頃で15インチが10万円、18インチが30万円でした)、性格的に思いついたら即行動のタイプですので、インターネットで台湾メーカーを探出し、7件ほどアポをとりました。
(その頃、1995 年当時まだ、インターネットは一般的でなく、通常の電話線を使用するもので、速度もすごくおそかったのを記憶しています。A4サイズの写真を開こうとすると10分ぐらいかかったと思います。電話料金もびっくりするぐらいになりました。その頃の楽天のページは、素人が作ったようなページで店舗も数えるほどでした。現時点でかんがえると、通信・情報関連の分野は、劇的な進歩をとげています)
そして、台湾に飛んでアポをとったメーカーに行くことになりました。
海外は、新婚旅行以来でしたので、まずパスポートとりからはじまり、旅券の購入等はじめてのことばかりでした。
取引先のかたに安い航空券の購入方法を教えてもらったりしました。
今では、国内の感覚でいけるようになっています。
そして、いよいよメーカーに出向き会社説明から商品等を紹介してもらいました。
基本的に台湾の人は、日本人には友好的で緊張して出向いたのですが、大きなメーカーでも日本の小さな会社に丁寧に対応してもらえたのには、感激しました。
それと案内してくれた台湾の人とは、以来ずっと友達でいます。
そして、そのうちの1社が今も取引している会社です。
取引のはじめは町工場のような会社でしたが、あれよあれよという間にでかくなり上場を果たしました。
日本との会社経営のスピードのちがいに驚かされました。
実際に販売が軌道にのるまで時間が必要でしたので、その間、社員の給料、家賃の支払い、自分の生活は止まりませんので色々な仕事をこなしていきました。
そして、いよいよ取引がはじまるのですが、当然のことながら海外取引、輸入というのは、はじめてでしたので、輸出入の実務、海外送金等いろいろ勉強しました。
本当になにも考えずとりあえず取引してもらえる会社をみつけただけで、
実務から資金の手当てとやることが、山ほどありました。
まず、はじめにデモ機を用意しなくてはなりませんでしたので、日本国内の感覚で貸し出して欲しいと依頼すると、サンプル機としての販売になる、それが常識であるといわれました。
資金のない会社には、当時の液晶モニターをデモ機として購入して置いておくには、きつかったですが、しかたありませんでした。
そして、購入したからには、はやく元手を回収しなくてはいけません。
私どものような小さな会社で大手国内メーカーのように単品の販売をしていたのでは、在庫を抱えたりしなくてはならないので受注生産方式にしました。
案件ごとにまとめて販売する方法です。
これですと注文がきたときにだけ資金を用意すればいいので回転も楽になるからです。
(この頃、大手メーカー以外で海外から液晶モニターを輸入販売していた会社はメルコ社とアイオーデータ社ぐらいだったと思います)
当初は、見積もりで価格では、圧倒的に優位なのですが、さいごの決め手はやはりブランド力でした。
いつも案件では、最後までのこるのですが、なかなか販売までにはつながりませんでした。
いろいろ試行錯誤の時期でした。
そして、ついに大きな案件をとることができました。
18インチのTFT液晶モニターで、はじめは200台くらいでしたが、最終的に1000台をこえる受注になりました。
当時18インチの当社の販売価格が24万円ぐらいでしたので、2億以上の仕事になります。
当然のことながら、年商2億の会社でしたのでそのような資金は、あるはずもなく、案件をとれた喜びよりも会社の資金の都合でお客さんに迷惑がかかることだけは、さけたかったので、資金の調達で相当なプレッシャーで眠れない日が、たびたびありました。
外為の経験もありませんでしたので、それもふくめて口座のあった富士銀行(今のみずほ銀行)に思い切って相談してみました。
多分、相当運がよかったと思うのですが、相談にのっていただいた方が外為の課長さんで資金運用にも精通されていて具体的なアドバイスをいただき、それを実行して資金の調達を可能にしました。
本当に感謝しています。勉強にもなりました。
それと取引先の会社の社長さんにも個人的に資金を貸し出ししていただき、助けていただきました。
本当に恵まれていました。
そしていよいよ、取引がはじまり工場検査等無事に終え大きなトラブルもなく無事に納入しました。
霞ヶ関のすべてのお役所に1500台納入しました。
おおきなトラブルもなく2005年現在も無事稼動しています。
そのご縁で数年後、日立製作所 おおみか工場様を紹介されお取引させていただいています。
本当に感謝、感謝です。(2002年〜2004年まで毎年500台納入)
と心底おもえるようになったのは、ここ 年ほどです。(現在、2005年)
その後、案件もとれて1年間は順調でしたが、液晶パネル価格が下落して販売価格も下がりはじめ、色々な販売会社がでてきました。
まさに急激に成長期に突入してしまいました。
当然のことながら大メーカーとの価格差勝負で販売していたので、当社と同じような価格で販売する会社がポコポコでてきましたので、急にピンチに陥りました。
そのような状況が想像もせぬはやさでやってくるとは、夢にも思っていませんでした。
やはりこうなるとあせりがでてきはじめてきました。
そして、会社調査を十分にせずに新規の客と取引をはじめ、半年は順調でしたが、その後不渡りを出し倒産してしまいました。

人との出会いには、必ずなにか意味が
存在すると考えます。そしてたどりついた
のが現在の企業としての理念です。
当社にとっての2千5百万円は、会社の存続を左右するような金額ですので、最悪の場合も考えました。
うわさを聞いてすぐに、電車に乗りその会社へ向かいました。
東京のお客さんでしたのでその道中、これは、デマであってほしいとか、なにかとりとめのないようなことを考えていたように記憶しています。
TVドラマとかで倒産した会社に債権者がおしかけている場面がありますが、自分自身がそのような場面に出演するとは、夢にも考えていませんでした。
あの頃は、毎日お金のことしか頭になく仕事も手につかなかったようにに覚えています。
毎日、毎日資金繰りで頭の中は一杯で今後の社員のこと家族のことで寝ることさえできませんでした。
(目がさめるとシャツとシーツがビショぬれで大量の寝汗でした。すごい歯ぎしりもしていたみたいです)
本当に人間は、マイナス思考になるととことんマイナス思考になるものだとつくづく思いました。
そのことで、数ヶ月は悶々としていました。
そして、2002年の12月に案件をとれたのですが、2千5百万の売掛がきえたのは、その年のあつい、あつい8月でしたので資金は底をついていましたので調達を考えなければなりませんでした。
このときも偶然、銀行のかたがこられて決算書をみてもらったところ1ヶ月で貸し出しをしていただきました。
なんとか1年ぐらいはやっていけそうな資金を調達できましたが、しかし、これがまた間違いのはじまりでした。
人間というものは、(私だけかも?)入ったお金は、自分のものと思ってしまう生き物なのでしょうか。
いろいろのことを考えていろいろ試してみました。
今から思うとバカかと思うほどです。
会社の理念、目指す方向性もないままに目先の売り上げを考えて行動していました。
そのようなことが、うまくいくわけもなく、いったとしても偶然で、そこにお客様を心底大事にしお互いに協力しながら仕事をしていたかと考えると正直そこまでは、ありませんでした。
そのような状況ですので、思うように売り上げがあがらず、当然借りたお金は返済しなければなりません。
売り上げをあげるために色々な仕事をうけてしまい結局は、気がつくと、何でも屋のような会社の色のみえない便利屋のようになっていました。
まさに貧乏ひまなし状態です。
小さな会社で人手は限定しているのに色んな種類の仕事をうけること自体がおかしな発想であると気づき、仕事を限定してやり直しを決めました。
そのころより、タッチパネルモニターの市場に本格的に参入する準備をはじめました。
CRTモニター時代から依頼があれば、製作するスタンスでかかわってきましたが、市場に参入することは、考えてはいませんでした。
この事業は、これまでの経験を生かし市場状態の調査、競合他社の状況等をふまえて、
資金から筐体の準備等、計画して参入しています。
当初、年数百台でしたが、現在は、月産300台〜500台のご発注をいただいています。
この業界で15年以上、かかわってきたおかげでいろいろな人と出会い助けられたり、
長年取引をしてきた方に裏切られたおもいをしたりと経験をしてきました。
毎年、毎年かならず新しい人とのすばらしい出会いがあります。
その出会いは、かならず私を助けていただいています。
人との出会いには、必ずなにか意味が存在すると考えます。
そして、たどりついたのが現在の企業としての理念です。

これからの展開
台湾には、液晶の事業をはじめてからの仲間がいます。
弊社の営業、品質管理、生産管理として働いています。
そのメンバーと協力しながらわれわれの夢、お客さんの夢の実現にむけて、
よりよい信頼関係を構築し発展していきます。
よりよい製品をお届けするため、自分の目でたしかめ試作、生産に立ち会います。
そのため、月に2回は、台湾、中国に出向いています。
現在、当社のできることは、メインは、TFT液晶タッチパネルの製造で、
10.4・12.1・15・17・19を製造しています。
抵抗皮膜・超音波弾性波・静電容量式に対応しています。
なまりフリー、ROHSに対応しています。
常時在庫は15型と17型になります。
ほかは、受注生産になります。
メンテナンスは、センドバック方式にて自社にて対応しています。
1週間程度のデリバリ、修理報告書の添付と問題があるときには、修理解析にも対応しています。
ロット不良発生時や納期遅延時には、迅速に対応し、お客様へのご迷惑を最小限にするための努力と知恵を結集し解決することをお約束します。
お客様仕様の量産も可能です。
図面をいただければ(要望により図面作製も可能)お打合せ〜量産まで約2.5ヶ月で量産可能です。
モックアップ、EMII試験、VCCI申請、量産型作製、マニュアル作成等(資料)オープンフレームなど100〜300ぐらいですと、台湾でレーザーカットでの製作がお勧めです。
液晶以外での台湾、中国ルートでのモックアップ製作、小ロットでのレーザーカット板金製作もできます。
2006年度より15型のパネルコンピュータの試作、テストにかかり2007年度からの販売をめざします。
この新しい事業もいままでの人脈で紹介してもらった会社です。
これからも人との出会いを大事に
ご理解いただける大事なお客様とともに歩みます
我々とあなたの夢をともに実現するために
2006 年度ハローワーク様向けのタッチパネルモニターのお仕事をいただいています。
最初のロットで、ある周波数帯域の切り替え時に液晶パネルがデフォルト状態になることが、判明し500台ほどだったと覚えていますが、すぐに台湾のメーカーに飛びその日のうちに対策を協議して、納入した製品を返却していただき対策をとりました。
最初のロットで判明して不幸中の幸いで運がついていたとつくづく思います。
お付き合いいただいていますお客様のおかげで、2006年9月の決算でタッチパネルモニターの売上が5億円になります。
WEB PAGEでの販売限定の製品が完成しましたので2006年9月から立ち上げ予定です。
2007年からは、量産品での市場がおどろく低価格帯の導入を予定しています(2006/6)














